インタビューはこれで終了。
ひとつひとつの質問にとても丁寧にお答えくださった辰巳先生。先生のお考えや思いを十分お聞かせいただいたが、今回のインタビューで私自身考えさせられたことがある。
高齢になり生殖能力がなくなった患者さんにとって、いつまでも治療を続ける医療機関があることに対して私自身少々疑問があった。「もう君は無理ですよ」という、ある種明確な引導を渡してもらわない限り、子どもに固執している患者さんはやめるにやめられなくなり、なかなか方向転換できないのではないだろうか、という思いがあったからだ。
だが辰巳院長先生のお話を伺って心揺さぶられた。
「体外受精の治療だけが治療ではない」「薬はやめて、ただ排卵があるかどうかだけでもチェックする、そういう段階も大事な軟着陸の治療」「患者さんとクリニックとの縁を失くさないようにしている」そうおっしゃった先生の言葉に、涙が出そうになった。そして私のあの頃、梅ヶ丘産婦人科という場所とのご縁があったら、どうだっただろうという思いに駆られた。体外受精で結果が出ないから終わりなのではなく、次の新たな人生に向けて舵を切る時間を設けてくださる。そんな場所が梅ヶ丘産婦人科だと思った。
辰巳先生の診療ポリシーをお聞きすると、「僕を頼ってくれる人の助けになること。その方にとって一番いい方向に向かっていけるように、全力でサポートすること」とおっしゃった。そして続けられた。
「妊娠出産してもらうことだけがゴールではなく、願いが叶わなかった方々が軟着陸できるように伴走することもとても大事なことだと思っています。僕ができる限り、支えになりたい」。
昭和60年、京都大学で体外受精が始まったばかりの時、その患者さんの扱いを産科にするのか婦人科にするのか、体外受精のオペの実施は手術室なのか分娩室なのか…etc.
そんなさまざまな取り決めが必要だった極々初期の黎明期の時代から、京都大学にて生殖医療に携わってこられた巨頭、辰巳賢一先生。そんな部分はおくびにも出さず、先生から感じられたのは、傍らにいてくれる支援者の優しさだった。
そうした先生の姿勢は、学生時代から続けていらしたアイスホッケーからも大きな影響を受けておられる気がした。現在も所属し、プレーされているバンスターというチームは、昨年(2016年)の全日本のシニア大会で優勝し日本一になられている。ひとつのことを長年やめずにやり続けることは、簡単なことではない。しかも、1シーズンも切らすことなく続けてこられている。「これ」と思ったことを想い続ける辰巳先生の意志の強さを感じると同時に、何よりチームメイトとの連携を大事にされているご様子が伝わってきた。
それは梅ヶ丘産婦人科での様子からもうかがえた。
外が既に暗くなったインタビューの帰り際、私はひとりの看護師さんと立ち話をさせていただいた。
「インタビュー、終わったんですか。お疲れ様でした。辰巳先生、いい先生でしたでしょ」
「はい、とっても」
「私たちスタッフ全員、辰巳先生だからこの病院にいます。そして、がんばれるんです!」
笑顔でそうおっしゃった。
「気付いたら来なくなられていた患者さんのことが最も気がかり」とおっしゃった辰巳先生のお人柄を物語る素敵な表情だった。
辰巳賢一院長先生、お忙しいところ、貴重なお話しをありがとうございました。