焦りがなかったのは、治療さえ受ければ子どもができると思っていたからかもしれません。その当時、仕事も忙しく、公私共に充実していたこともあり、自然妊娠を試みながらも特に落ち込むこともなく、予約までの日々が長いと思うこともありませんでした。実際、周囲に妊活や不妊治療について公言している人は皆無でしたから、私も特別意識せずにいられた時期だったように思います。
ただ1年弱の待機時間を経て、いよいよ大学病院での診療が始まると、そんな状況も一変しました。コンサルティングを受け、まず人工授精から始めることになりましたが、英語での説明ではやはり心許なく、日本語での情報をインターネットで検索する日々が始まりました。不妊治療についての情報は見つかるものの、当時は今から約10年前でしたから、実際海外で、特にイギリスで不妊治療をされている日本人の情報はほとんど見つけることができず、自分だけが不妊治療に足を踏み入れているような気分になり、この頃から、どんどん心細くなっていきました。そして、調べれば調べるほど不安になり、それからの道のりのイメージがとても暗かったことを鮮明に覚えています。
ロンドンで人工授精をした大学病院、University College London Hospitals。NHSのサービスにより無料で治療が受けられた(薬代は別)。
そんな心細さが少しだけ軽減されたのは、病院での待ち時間と待合室の状況でした。きちんと予約時間に出向いても、ドクターと会えるのは30分〜1時間後。病院は常に混んでいて、そこにはさまざまな年齢層の夫婦がいて、私たちだけではないことがわかり、待っている時間を通して安堵感を覚えたほどでした。こうした待合の場の雰囲気が、私の孤独感を解消するひとつになったんです。
私たち夫婦が1回目の人工授精を試みたのは、2011年の3月16日。東日本大震災の一週間後でした。私の実家は、福島県郡山市。イギリスでも毎日のように被害の様子や原発のニュースが流れ、実家の両親や親戚、友人の安否や状況が心配でしかたなく、気もそぞろの中で人工授精が始まりました。1回目は失敗。日本の震災による、私の心へのダメージが影響している気がしてなりませんでした。原発の刻々と変わる状況に右往左往し、自分が何も出来ないことに不安や苛立ちが募る日々。自分の妊娠よりも、実家の家族や親戚、友達の心配で、心が覆われていた気がします。
結局、3回の人工授精は上手くいかず、体外受精を勧められました。体外受精は、大学病院が外部の民間病院へ委託します。私たちはNHSを通して治療を受けていたので、このまま治療費に関しても無料との説明を受けました(ただし、人工授精と同じく薬代は実費)。
心の支えになったこと
私たちはラッキーなことに、体外受精1回目で娘を授かることができましたが、やはり海外での不妊治療は、言葉の問題もあり、不安や混乱が増していたように思います。そんな中、有難かったことは、朝7時半から開く大学病院での血液検査専用窓口。待ち時間を含め、毎回、約10分で検査が終わったことは、仕事をしながら人工授精、体外受精をする私にとってはとても助かりました。
毎日気持ちを綴っていたダイアリー。誰にも話せなかった分、ここには素直な気持ちが溢れている。
今見返してみても、苦しかった当時が蘇り、胸が詰まる。
また、職場での休暇制度にも恵まれていました。イギリスは有給休暇が日本より多く、私も当時、年間25日を超える有給休暇があり、明確な理由がなくても、比較的簡単に休暇が取れる環境があります。また、付与されている有給休暇は基本消化するのが求められているので、半休を申請したり、昼休みを削って早引きさせてもらったり、日本よりは大分治療のしやすい環境にあったのではないかと思います。一般的には、休暇の理由を上司に伝える必要はないのですが、転職した先では“不妊治療休暇”というものがあり、事前に人事や直属上司に相談、申請、承認を得ると、そういった有給休暇が取得できるシステムでしたね。
娘として生まれてきてくれた受精卵の写真。クリニックにて。
そして、もうひとつ、何より有難かったこと。それは職場の先輩の存在でした。彼女にだけは不妊治療について告白したのですが、先輩は、半年間気づけなかったことを私に詫び、私のサポートを快く引き受けてくれました。私の体調がすぐれない時もそっと手を貸してくれ、上司や同僚へのフォローアップも引き受けてくれました。私と同じく国際結婚をされ、子どもが大好きなその人が私の状況を理解し、仕事面でサポートしてくれたことは、心身ともに大きな支えになりました。
誰か一人に言えた安堵感。夫以外でサポートしてくれる人がいることの安心感。その安堵感や安心感の大きさからも、自分がそれまでいかに孤独だったかがわかりました。
(左)生まれてきたばかりの娘の足。
(右)退院直後の娘。寝顔を見ながら、異国の地での不妊治療は不安ばかりだったけれど、勇気をもって挑戦してよかったと心から思えたひととき。
人に話すこと
私は、子どもが授かったということもありますが、妊娠後は、不妊治療で妊娠したことを周囲に隠さず公表していました。今、娘は9歳になりますが、以前と同様公表しています。隠し通すこともできましたが、私にとって、同じ境遇の人が周りにいないということが何よりも淋しかった。自分一人がこの道を進んでいるような感覚が襲ってくることが怖かった。自然妊娠できないことへの恥ずかしさからか、無意味に自分を責めることもありました。思うように妊娠できないことで、苛立ちや焦りを募らせた日々でしたが、同じような気持ちを持っている人がいるのなら、少しでも経験をシェアできたらと思うようになりました。
公表して以来、多くの友人や同僚、知り合いに声をかけてもらうようになりましたが、一見わからないだけで、身近にこんなにも同じ問題で悩んでいる人、同じ体験をしていた人がいるとは、本当に驚きでした。そして、近くにいる人と一緒に話ができること、情報交換ができることは、インターネットからの情報などでは得られない、大きな力を与えてくれることを知りました。
娘と見つめ合う夫。体外受精を迷う私の背中を押してくれた夫は唯一の理解者で心強いサポーター。
不妊治療のことでは夫婦でなんでも話し合い、支え合い、ホルモン注射なども夫が担当。
夫婦としての絆が強くなった体験だったと二人共が振り返る。
イギリスでも、望めば何歳までも不妊治療は続けることができるようです。ですが、知り合いの話では、検査結果や過去の治療の分析をして可能性が低いとなると、医師たちがきちんとその旨を伝え、続けていくことへのリスク等を含めてしっかりと話し合いが持たれるとのこと。可能性が少ないことを理解した上で、前に進むか立ち止まるかの選択は患者に任されているものの、現状と向き合うことを提案してくれる環境が整っています。
イギリスを含めて、ヨーロッパでは、子どもを持たない選択も多くの夫婦間で取られていて、子どもがいないからといって肩身が狭い思いをしている印象もまったくありません。むしろ、それぞれの夫婦が、自分たちに合ったそれぞれの幸せ、それぞれの生き方を選択している気がします。その中には養子縁組も自然に含まれます。ヨーロッパでは、養子縁組で家族を形成していく夫婦はとても多い。幸せを目指すカタチはいく通りもあっていいんですよね。
Thank you, London.